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教育学部

【2024年】早稲田教育学部【英語】解答速報と来年度に向けての対策

早稲田大学教育学部が2/19に入試を迎えました。

このブログ記事では英語の問題を分析していきます。

2024年早稲田大学教育学部英語全体講評

近年早稲田教育学部は大きくレベルが上がり、
今年度も同じ形式で出題されました。

昨年ほどの長さではなかったのですが、
文章自体が平均で1000wordsと長いので、読むのが大変です。

問題自体はパラグラフで解ける問題がほとんどで、解ける問題を解けるようにして欲しかったです。

解答作成には万全を期していますが、間違えている可能性は十分にありえます。速報ですので、参考程度に留めておいてください。少しですが解説・考え方も載せていますので参考にしてください。
重要:大学側から配点が公式に発表されてませんので、どれくらいあっていたら合格できるかはわかりません。

Keio
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2024年早稲田大学教育学部英語大問Ⅰ

1 b
2 a
3 b
4 d
5 c
6 b
7 c
8 b
9 c
10 a
11 a
12 d
13 b
14 b

解答根拠

(1)

傍線内の比喩表現を理解する必要がある問題です。
本文の最後の部分である「goodness, the difference between right and wrong, the nature of fairness — are sunk in conceptual quicksand」というフレーズが示しているのは、”善良さ、正と不正の違い、公平性の本質といった概念が概念上の流砂に沈んでいる”、
つまりこれらの日常的な概念が本質的に定義が困難であるという意味です。これは、第2段落の最後の文に該当します。

選択肢(a)「これらの考えは非常に特異である」には根拠がありません。文章中でこれらの概念が特異であるとは述べられていません。

選択肢(c)「共通の考えが文化を超えて普遍的な意味を持たない」という意見も文章から直接導き出すことはできません。文化間の普遍性については言及されておらず、概念が深い理論的な混沌に陥っているという点に焦点を当てています。

選択肢(d)「これらの考えが日常会話で見つけるのは非常に珍しい」という選択肢も文章の内容とは合致していません。むしろ、子どもたちが日常的にこれらの言葉を使っていると述べており、それは日常会話でよく使われる概念であることを示しています。

(3)

選択肢(b)「公平さの理論を説明する」が、下線部(3)「その瞬間の特定のコミュニケーションの課題」としては例として挙げられないものです。

この文章は、「公平さ」や「善良さ」といった抽象的な概念について、哲学者たちが普遍的な理論を提供しようと苦闘している一方で、子供や大人はその瞬間のコミュニケーションの課題に対処するために十分に明確な意味を理解するだけでよいと述べています。具体的には、「It’s not fair!」と叫ぶことで子供が感じている不公平感を表現する必要がありますが、そのために全般的な公平さの理論を心に留めておく必要はないと説明しています。これは、本文の第2段落の第2文から第5文にかけての記述です。

選択肢(a)「自分が何を望んでいるかを表現する」、選択肢(c)「自分の感情を伝えるための正しい言葉を見つける」、選択肢(d)「もっと大きなケーキのピースを求める」という行為は、いずれもその瞬間における特定のコミュニケーションの課題対する対処と見なすことができるため、下部(3)の例として適切です。

(4)

文章の中で、「fairness」(公平さ)についての明確な定義を提供している部分はありません。
哲学者たちが「公平さ」を含む深い概念の普遍的な理論を構築しようとする挑戦について語っており、それがどのような状況や文脈でも機能するようなものでなければならないと述べています(第2段落の第1文)。
しかし、子供たちや大人は、その瞬間、その瞬間の特定のコミュニケーションの課題に対処するのに十分な意味を捉えるだけで良いとも説明されています(第2段落の第2文と第3文)。
例えば、「It’s not fair!」という叫びが子供がケーキの小さい切れ端を渡されたり、列で待たされたりしたときの憤りを表現する必要があるとされていますが、これは公平さの一般的な理論を心に留めておく必要はないとされています(第2段落の第4文と第5文)。

選択肢(a)「全員がケーキの等しい部分を受け取ること」、選択肢(b)「贔屓なく公正な扱い」、選択肢(c)「プリスクールの子供たちが一人ひとり順番に列に並ぶこと」は、文章中で「fairness」の定義として明確に提供されているものではありません。

(5)

ここではエリザの例から、「子どもたちの概念理解における矛盾」を示すために使われていることがわかります。
例えば、エリザがおもちゃの熊について言及している部分では、彼女は次のように述べています:
“E: No —she’s dead. HOW CAN THAT BE?”
“E: No, she’s middle-sized in between alive and dead. She moves sometimes.”(第3段落)。

エリザが生きているものと死んでいるものの間の概念的な矛盾に直面していることを示しています。
彼女の理解では、おもちゃの熊は動くことがあるため、「生きても死んでもない中間の状態」にあると解釈しています。

さらに、エリザが死んだ人々の行動についての誤解を示す部分では、彼女は次のように質問します:
“E: How do dead people go to the bathroom?”
これに対して、「S: Dead people don’t have to go to the bathroom. They don’t do anything; they just lie there.」と応答されますが、
エリザはそれでもなお、「E: But they ate or drank before they died — they have to go to the bathroom from just before they died.」と返答します(第3段落)。

これらの引用は、子どもたちが生と死の概念をどのように理解し、それに疑問を持っているかを明確に示しています。
彼女の疑問は、生きているものと死んでいるものの定義に関する成人の概念とは異なる、独自の解釈を反映しています。

(6)

b「Things that do not move or cannot be seen are not alive」がエリザの生と死に関する理解に最も適していると考えられます。これは、エリザが生きているものと死んでいるものをどのように区別しているかを示す文から明らかです。

エリザがテレビで撃たれた人について言及した際、「”He’s dead — I can tell because he’s not moving.”」と述べています(第3段落)。この発言は、動かないものは生きていないというエリザの基本的な理解を示しています。
さらに、エリザは、「”Isn’t it funny — statues aren’t alive, but you can still see them?”」と発言しています(第3段落)。この発言からは、エリザが見えるが動かないもの、この場合は像を、生きていないものと認識していることがわかります。

これらの点から、エリザの生と死の理解は、動きや見えるかどうかに基づいていることが示されています。
このため、bが彼女の観点を最もよく表していると考えられます。

他の選択肢については、本文から確認できません。
a「Statues are alive when you do not look at them.」は、エリザの観察からは支持されません。彼女は像が生きていないと認識していますが、見るか見ないかに基づくという考えは示されていません。
c「People who are shot on TV are not real, and cannot die.」については、エリザがテレビ上での死を現実の死と同じように解釈していることから、この選択肢は彼女の理解を反映していないと言えます。
d「Life and death are the same thing.」はエリザの観察に反するものです。彼女は生と死を区別しようとしており、それらが同じだとは考えていないようです。

(8)

この文脈での「charades」は、言葉を使った遊びやゲーム、特にコミュニケーションの状況において使用される比喩的な表現を指しています。
第7段落で、「Both pre-school children and adults use words as players use gestures in charades — in creative, contradictory ways that are good enough to get through the language games of the moment.」と述べられています。
ここでは、「charades」という言葉が、言語を使用したゲームや遊びを指していることを示しています。
具体的には、子どもたちと大人が言葉を使って創造的かつ矛盾する方法でコミュニケーションを取り、その瞬間の言語ゲームを成功させることを指しています。

a「language changes」はこの文脈では適切ではありません。「charades」が言語の変化や進化を指しているという直接的な証拠は文中にありません。
c「sign languages」もまた、この文脈においては不適切です。文章は手話や特定のサイン言語を指しているのではなく、一般的なコミュニケーションの文脈での言語使用について語っています。
d「language signs」も正確な表現ではありません。「charades」は言語の記号やサインを直接的に指すのではなく、言葉を使った遊びやゲーム、コミュニケーションの戦略を示しています。

(10)

第5段落では、生命の定義に関して「But this leaves tricky cases such as viruses (not composed of cells, not able to reproduce independently), viroids (circular RNA strands that replicate autonomously inside a host plant), prions (infectious proteins), and even the androids of the future (could a machine be conscious without being alive?). The definition of life, like the definitions of good, justice, right and wrong, has been the subject of endless and unresolved debates for millennia.」と述べられています。
この引用は、生命の定義に関する質問が複雑であり、簡単な答えが存在しないことを示しています。

b「questions that no philosophers have considered」は不正確です。文中で哲学者がこれらの問題を考慮していないとは言及されておらず、むしろ「endless and unresolved debates for millennia」と述べられています。
c「questions that only scientists can answer」も不正確です。文中で科学者だけがこれらの問題に答えられるとは述べられておらず、実際にはこれらの質問が長い間議論されてきたことが示されています。
d「questions with clear spiritual and religious answers」も文脈に合っていません。第5段落では、生命の定義に関する質問が宗教的または霊的な明確な答えを持っているとは述べられておらず、むしろこれらの問題が未解決のままであると説明しています。

(11)

第6段落には、「These types of questions(5段落の内容) are mostly irrelevant in the vast majority of linguistic charades we play in everyday communication — the tricky cases just don’t arise much in ordinary conversation. What matters is that we can get along well enough when dealing with the situations that actually occur in daily life.」と記述されています。この引用は、日常生活でのコミュニケーションでは、哲学的な意味の問題がほとんど関係なく、実際に発生する状況を上手く扱えることが重要であるという著者の主張を明確にしています。

b「We need to memorize the definitions of words that other people use」については、第6段落では他人が使用する単語の定義を暗記する必要性について言及していません。
c「People have numerous reasons to negotiate the meanings of life and death」も、この段落の主なメッセージではありません。実際には、日常会話では生と死の意味について交渉する多くの理由があるとは述べられていません。
d「Children’s games are an important part of learning about life and death」に関しては、第6段落では子どものゲームが生と死について学ぶ重要な部分であるとは特に言及されていません。

(12)

第6段落「We no more need a mental definition of life to talk about living relatives or dead pets than we need a biological definition of gorillas to mime King Kong.」
no more のいわゆるクジラ構文です。

これは、生きている親族や亡くなったペットについて話す際に、生命の厳密な定義が必要でないのと同じように、キングコングを真似るためにゴリラの生物学的な定義を必要としないことを示しています。このアナロジーは、特定の活動やコミュニケーションにおいて、高度な専門知識よりも、状況を処理するための基本的な理解がより重要であることを強調しています。

a「an understanding of the planet Mars to study the sun」は、太陽を研究するために火星の理解が必要でないという点でアナロジーが成立するものの、日常的な活動やシンプルなタスクと直接的な関連性が薄いため、この文脈でのアナロジーとしては適切ではありません。
b「the classification of pipes to play the videogame Super Mario Brothers」は、ビデオゲームをプレイする際に特定の分類知識が必要でないという点で面白い比喩ですが、本文のコンテキストにおいて生命やコミュニケーションのシンプルさを示すアナロジーとしては直接的ではありません。
c「the meaning of gorillas to say that they are 200 kilogram primates」は、本文引用部分に実際に登場するゴリラに関するアナロジーを使っていますが、この選択肢はアナロジーそのものを説明しており、置き換えるアナロジーとしては機能しません。

(13)

下線の表現は、コミュニケーションの過程で表面上は見えないが、実際の意味や理解に影響を与える大きな要素を指しています。

第7段落から解答の根拠を具体的な引用すると、「And playing those conversational games requires paying attention to likely communicative objectives, the contents of the environment, and past linguistic usage — the hidden parts of the communication iceberg are just as important as the words themselves.」です。
これは、会話ゲームをする際には、コミュニケーションの目的、環境の内容、過去の言語使用といった、一見すると見えないコミュニケーションの側面に注意を払う必要があると述べています。これらの「隠された部分」は、言葉自体と同じくらい重要であると強調しています。

a「the differences in mother tongue that are a titanic obstacle to communication」は、文中で特に言及されているわけではなく、bのように広範なコミュニケーションの側面を包括しているわけではありません。
c「the communication between children and adults that is often deep, cold, and damaging」は、第7段落での表現や文脈とは異なり、コミュニケーションの隠れた側面を説明する際に使用されているメタファーに合致しません。
d「the true intentions that are not revealed in intergenerational communication」も、隠れた部分を指すメタファーとしては適切ではありますが、第7段落で述べられている「隠された部分」の説明はもっと広範なコミュニケーションの要素に関連しています。
したがって、bが「the hidden parts of the communication iceberg」の意味を最も正確に反映しており、コミュニケーションの過程で見えない、しかし重要な部分を指しています。

(14)

記事全体を通じて、日常のコミュニケーションにおいて人々が共有する意味や概念は、その場その場のコンテキストに基づいて適応的に理解され、交渉されることが強調されています。第2段落で、「But children and adults only have to get meaning sufficiently clear to deal with the specific communicative challenge of the moment.」と述べられています。これは、日常のやり取りの中で人々が意味を常に交渉していることを示しています。

a「People are able to communicate clearly using words because we already share a common understanding」は、記事が示すコミュニケーションの複雑さを過小評価しています。共有された理解があるとはいえ、その理解は状況に応じて変化し、交渉されることが強調されています。
c「Young children play charades because they are not good at using language the same way as adults」は、子どもたちの言語使用に関する記事の主旨を誤解しています。実際には、子どもたちが成人とは異なる方法で言葉を使う能力について議論しつつ、それがコミュニケーションの交渉の一環であることを示しています。
d「People in different countries use different nonverbal strategies to communicate when they lack the vocabulary to speak」は、この記事の焦点ではありません。記事は、非言語的戦略よりも言葉を使った意味の交渉に重点を置いています。

出典

“The Language Game: How improvisation created language and changed the world”

by Morten H. Christiansen , Nick Chater

bannaer

2024年早稲田大学教育学部英語大問Ⅱ

1 c
2 b
3 d
4 d
5 a
6 b – a
7 a
8 a
9 c
10 d

解答根拠

(1)

第1段落の最後の文から明らかです。「the invention of the first device ever that permitted us to henceforward stop using a part of our brains」では、Cal-Tech電子計算機が私たちが脳の一部を使うのを止めることを可能にした最初の装置であると著者が考えていることを示しています。

aについては、著者が1967年に感傷的である、またはその年を特別なものとして懐かしんでいるという明確な証拠は文中にありません。
bに関しては、Cal-Tech電子計算機の「impeccable accuracy」について第2段落で言及されていますが、それが著者が詳細に議論する主な理由ではないことが第1段落で示されています。
dについては、電子計算機が私たちの生活を容易にしたという事実は第2段落で示唆されていますが、これが著者がCal-Techについて詳細に議論する主な理由ではなく、むしろ脳の使用を減らすことの影響に焦点を当てているためです。

(2)

第2段落「they still required you to make some use your grey matter; the Cal-Tech freed you up entirely」という部分で、Cal-Tech電子計算機が人々を「grey matter」、つまり脳胞を使う必要から解放したと述べています。この文脈で「grey matter」は脳の活動、特に計算を行う際の脳細胞の使用を指していると解釈できます。

a「arithmetical instinct」についは、本文中では直接的に算数的直感につて言及されていないため、これを「grey matter」と考えるのは適切ではありません。
c「vague ideas」も同様に、本文中で脳の活動や思考としての「vague ideas」につては言及されておらず、論理的な対応物は考えられません。
d「electronic calculatorは、Cal-Tech 電子計算機が人々を脳細胞をう必要から解放したという文脈で言及されています、これは「grey matter」の代替というよりは、その使用を不要にしたツールと述べられています。したがって、これも「grey matter」の置き換えとしては適していないと言えます。

(3)

この選択肢を選んだ理由は、第6段落における「This has in recent months led to widespread hand-wringing. Our minds, it is said, will inevitably fall out of use, atrophying, or distending, whichever is worse」という文から明らかです。ここで表現されている「widespread hand-wringing」とは、人々が電子計算機やその他の技術革新が私たちの脳を使う方法に及ぼす影響について広範囲にわたって心配していることを指しています。

aについては、長文のどこにも日々の忙しい作業が手に影響を与えるという心配に関する言及はありません。
bに関しても、疲れるほどの精神的作業に関する心配が直接的に表現されているわけではなく、著者が言及しているのは、私たちが脳を使用する必要がなくなるという懸念です。
cは、ディストピア的なビジョンが私たちに汚染された世界を放棄させるかもしれないという心配について述べていますが、これは第7段落の映画「Wall-E」の描写に基づく例えであり、直接的な心配の原因としては言及されていません。

(4)

この選択肢を選んだ理由は、第7段落と第8段落に基づいています。第7段落で、著者は「Wall-E」という映画を引き合いに出して、物理的な怠惰がもたらすディストピア的な未来像を描いています。引用すると、「the nightmare model – for our bodies – is a movie like Wall-E」とあります。そして直後の第8段落では、「So now there comes a similarly dire vision for our minds」と続けており、これは映画で描かれた身体の未来に対する悲観的な視点と精神の未来に対する悲観的な視点を比較していることを示しています。

aについては、著者が「Wall-E」を引用しているのは夢を見ることに関する警告のためではなく、未来に対する一般的な悲観的なビジョンを示すためです。bについては、著者は実際に人々が映画のような生活をすることに対する心配を表明しているわけではなく、比喩的な意味で映画を参照しています。cは、映画で起こったことが現実の人々の心に起こると著者が確信しているように解釈される可能性がありますが、著者は比較を行っているに過ぎず、必然性を主張しているわけではありません。

(7)

下線部はthoughの倒置になります。意味が同じなので、asの倒置よりもわかりやすいとは思いますがGeniusの引用をしておきます。

⑸[倒置される場合] 倒置した Late though it was, the meeting still continued. (遅くなったが, 会議はまだ続いていた)の語順で用いるのは⦅主に文⦆. この場合にthough ではなくalthoughを使うのはきわめてまれ(→as接6a)). 名詞句が前置された場合は無冠詞となる:Genius though he was, he had no common sense. 彼は天才だったが, 常識というものがなかった. 動詞(句)の前置は⦅やや古⦆:Fail though I did, I would not give up my dream. 失敗したが夢はあきらめない.
出典:Genius6 though 部分

ここで著者は、AIによる変革がもたらすであろう知的生活に対する楽観的なビジョンを提示しており、同時に自身の見解が空想的に聞こえるかもしれないと予想しています。これは、著者がそのビジョンに対する批判や懐疑的な反応を予測していることを示唆しています。

bは、著者が「renewed innocence」について疑念を抱いているとは文中で示されておらず、むしろそのような状態の到来を期待しているように読み取れます。
cは著者がアリストテレスの関連性について不確かであるかのように語っていますが、文脈からは著者が古代ギリシャの知識人に言及しているのは、彼らが持っていた知の純粋さを現代でも追求すべきだという示唆のためであり、その関連性を疑っているわけではありません。
dは、AIが新たな哲学者の出現を引き起こすと著者が考えているかのように読めますが、その表現は第15段落において「Fanciful though it may sound」という前置きを経て、可能性の一つとして提示されているに過ぎません。

(8)

第12段落で著者は古代ギリシャの知識人の心について言及していますが、「Their minds, though steeped in the totality of contemporary knowledge, were thus almost tabulae rasae – nearly empty, ready to take it all in, ready to think, primed for purpose.」と述べています。これは、古代ギリシャの知識人の心が、当時知られていた知識によって満たされていたが、まだ知られざることが多く、新しい情報を取り入れる準備ができているという意味です。現代の心が「ほとんど空」とはどこにも書かれていません。

bについては、第4段落において「GPS has given us all the direction we might ever need.」と述べられており、GPSが従来の方位を測るツールを置き換えたことが明示されています。
cは第14段落に基づいており、「a more reasonable sound-to-noise ratio, gifting us with a renewed innocence」とAI技術によって知的生活が改善される可能性が示唆されています。
dは第2段落で、電子計算機がアバカスや計算尺とは異なり、完全に自動化されていて使い者の心を使う必要がないと説明されています。「The abacus and the slide rule might have been mental labour-saving devices, but they still required you to make some use of your grey matter; the Cal-Tech freed you up entirely.」

(9)

第13段落と第14段落に基づいています。著者は「Which is why our modern minds, once they have been purged of all that today’s algorithms might now deem unnecessary information, will be as ready as theirs were to think, to inquire, to wonder, to contemplate, to imagine, to create.」と述べています。これはAIが不必要な情報を取り除くことで、私たちの知的能力をより完全に行使することを可能にするという著者の楽観的な見解を反映しています。
さらに著者は「So I see today’s algorithmic revolution as a necessary cleansing, a movement by which we rid ourselves of all the accumulated bricolage of modern intellectual life, returning us to a more reasonable sound-to-noise ratio, gifting us with a renewed innocence, filled with potential.」とも述べており、これもAIの肯定的な影響に対する彼の見方を示しています。

aについては、著者がAIによって人間が怠惰な夢想家になることを恐れているという直接的な証拠はありません。第9段落で著者は「But I am not a doomsayer – not so far as our minds are concerned, at least.」と述べており、これは彼がAIに対して恐れを持っているわけではないことを示しています。bに関しては、著者がAIに関して全く懸念を抱いていないわけではないものの、第9段落での言及は、AIに関する彼の全体的な姿勢が楽観的であることを示しています。dは、著者がAIアルゴリズムが古代ギリシャの哲学者たちの独創性を超えると考えているかのように読めますが、文中ではそうした比較を行っていません。

出典

The big idea: will AI make us stupid?

2024年早稲田大学教育学部英語大問Ⅲ

1 c
2 c
3 c
4 b
5 c
6 a
7 d
8 a
9 b
10 b
11 d
12 a
13 d

解答根拠

(4)

b「Terminal lucidity occurs when neural networks that were regarded as damaged are restored.」が本文の記述と一致しないという主張は、文中の情報とは合致しません。これを説明するためには、4段落の「It suggests there may be neural networks that are remaining, and/or pathways and neural function, that could help potentially restore cognitive abilities to individuals we otherwise think are permanently impaired」という部分を引用します。
この文は、損傷したと考えられていた神経回路が復活するということではなく、依然として残っているかもしれないと可能性を示唆しています。
これは神経回路が復元されるというよりは、まだ機能している神経回路が存在すること示されているため、bは文の内容とは一致しせん。

a. 5段落「research into this phenomenon is still in its early phases」という記述から、終末期の明瞭さが我々に患の脳内で起きていることを理解する手がりを与えていると解釈できます。
c. 1段落の「Such “terminal lucidity” is defined the return of cognitive faculties」という部分は、終末期の明瞭さが認知能力の突然の回復として明されていることを明示しています。
d. 2段落の「they’re aware not merely of their surroundings … but understanding what their relationships to other people are」という記述は、終末期の明瞭さが者に予期せぬ形で他人との関係を思いさせることを示しています。

(5)

c「A surge of organized brain activity was observed in the last few days of life.」が6段落の実験の記述に言及されていない内容です。本文では、「Gamma-wave activity surged within the first few minutes of cardiac arrest and then ceased」と述べられており、これは心停止の最初の数分間にガンマ波の活動が急増したことを指していますが、最終日の数日間については言及されていません。
a. 「including a 2013 PNAS study that revealed a similar surge in synchronized brain activity in rats exposed to a cardiac toxin」という部分が、毒素を投与された後の脳活動が観察されたことを示しています。
b. 「and a 2015 study in which rats were killed by asphyxiation」という部分が、酸素欠乏によって死亡したラットでガンマ波の活動が観察されたことを示しています。
d. 「Gamma waves are a frequency of brain wave typically associated with wakefulness, alertness and memory recall」という部分が、心停止後の瞬間にラットがより警戒していた可能性を示唆しています。

(6)

a「In experiments including both humans and animals, the brain activity of the subjects decreased after a sudden drop in oxygen levels.」は、ジモ・ボルジギンの主張と一致しません。
8段落で、ボルジギンは「the subjects’ brain showed a spike in activity after the sudden reduction of oxygen supply」と述べており、これは酸素供給の急激な減少後に脳活動が増加したことを意味します。したがって、脳活動が減少したというこの選択肢は、実際には逆の状況を示しています。

b. 7段落では、「Some other researchers believe this region may also be essential to conscious experience. The parts of the brain in this area are related to visual, auditory and motion perception—a phenomenon Borjigin believes is involved in the out-of-body experiences reported by people who come close to death and recover」と述べられており、頭蓋骨の後ろ近くにある脳の領域が臨死体験に関与していることが示されています。

c. 7段落の「She adds that gamma-wave activation patterns akin to those observed in the comatose people are associated with activities that include the recognition of a familiar image—such as a human face—in healthy people」という部分が、昏睡状態の患者のガンマ波活動パターンが健康な人が馴染みのある画像を認識する時のそれと似ていることを示しています。

d. 8段落でボルジギンは、「I believe dementia patients’ terminal lucidity may be due to these kinds of last-ditch efforts of the brain」と述べており、脳が酸素不足を感知したときに生物学的平衡を回復しようとする試みが終末期の明瞭さの原因である可能性があることを示唆しています。

(8)

a「Several seconds before cardiac arrest, brain activity was found to disappear.」は、AWARE II研究の記述に適切ではありません。本文には「Within 20 seconds of cardiac arrest, the brain flatlines」とあり、これは心停止の20秒以内に脳の活動がフラットライン(活動が見られなくなる状態)になると述べていますが、心停止の数秒前に脳活動が消失するとは記述されていません。
したがって、この記述は不適切です。

b. 「researchers monitored the brain activity of more than 500 critically ill people」という文が、重症患者の脳活動を研究者が監視したことを示しています。
c. 「The patients were exposed to audiovisual stimuli while undergoing CPR to test their memory of events after cardiac arrest」という文が、心停止後の出来事に関する患者の記憶を探るために、CPR中に視聴覚刺激を受けたことを示しています。
d. 「The AWARE II team also observed an unexpected spike in brain activity during CPR」という文が、CPR中に予期しない脳活動の急増を研究者が観察したことを示しています。

(11)

根拠は3段落にあります。カーロウィッシュは、「what we found is lucidity was more common than it was the exception in dementia patients, which would suggest that the idea of it being terminal is not entirely correct」と述べています。
さらに、「We’ve actually found that a variety of these episodes occurred months, even years, before the person died」とも述べています。これらの引用は、彼が認知症患者の意識について、完全には失われていないと考えていることを示しており、その意識が部分的には変わらずに存在するという見解を支持しています。

a「彼らの意識は非常に活発である」、b「彼らの意識は徐々に消えていく」、c「彼らの意識は永久に損なわれる」については、カーロウィッシュの意見を直接反映している引用は文中に見つかりません。彼は認知症患者の意識について、一部が未だに存在し、病気の経験の一部として見るべきであると述べていますが、これらの意識が「非常に活発」であるとか、「徐々に消えていく」とか、「永久に損なわれる」といった具体的な状態を指摘しているわけではありません。

(12)

a「questions the idea that cognitive decline is a one-way process」は、記事から合理的に推測できる内容です。11段落でカーロウィシュは、「rather than assuming their consciousness has been irrevocably changed, “we should still pay close attention to their mind because some aspects are still there, though they may be quite damaged.”」と述べており、これは認知機能の衰えが一方通行のプロセスであるという考え方に疑問を投げかけています。彼は認知症の人々の意識が不可逆的に変わってしまったと仮定するのではなく、まだ存在する側面に注意を払うべきだと述べています。

b. 超自然的な信念や迷信についての言及はなく、科学的な考え方に基づいて死についての見解を述べています。
c. 新しい技術を開発したという内容は記事には述べられておらず、研究や観察についての言及が主です。
d. 心臓病の治療への投資を支持するという立場は記事からは直接読み取れません。記事は死の過程や認知症患者の意識についての研究に焦点を当てています。

出典

Why Dying People Often Experience a Burst of Lucidity

2025年早稲田大学教育学部を受ける人はどうするか?

一見すると難しい問題が多いのですが、
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Published by

小野 和久

高校時代の成績は、偏差値30いかない程度。その状態から、皆に合わせて予備校に行くもうまくいかず、浪人。浪人生活の中で独学で勉強法を編み出して早慶ダブル合格を果たし、慶應義塾大学経済学部に進学。その後、留学せずに英検1級、TOEIC990点、国連英検特A級を習得。 また、在学中に慶應早稲田専門の本塾を起業し、数々の偏差値30からの生徒を合格に導きました。当塾での合格の秘訣は、「考えて勉強をすること」です。 このような自身の経験から考えて勉強することの重要性を認識し、考えて勉強することで勉強を効率化してどんな学力の受験生に対しても独自カリキュラムを提供しています。早慶専門個別指導塾HIRO ACADEMIA塾長。