塾長プロフィール

慶應卒業で、塾も経営されている・・さぞ輝かしい経歴なんだろうか。

そう思われたそこのあなた。間違いです!

進学校に進んで慶應大学経済学部卒業して、その後起業・・と
確かに経歴だけ見ると何かすごい人なのだろうか、

こういう人は勉強ができない人の気持ちが全くわからなくて、教わるのに良くないんじゃないのか・・

結論からいうと、それは全くの間違いです。

私(小野)は、基本的に失敗ばかりで高校受験の時は運良く、

ほぼ定員割れの状況で進学校に通うことができましたが、

高校時代の時の成績は偏差値30どころではなく、地を這うような状況でした。

ですが、大学受験時に、様々な本を読み漁り、

「ある考え方、勉強法を考えついたこと」で成績をあげる奇跡のような勉強法を考えつきました。

その勉強法により、地を這うような状況から慶應早稲田に合格し、慶應経済学部に進学することができたのです。

本プロフィールでは、お読みいただく前にどのような塾なのか・・ということをお分かりいただく必要があると思いますので、
塾の実績を載せておきます。

早慶志望者指導人数は述べ700を超え、
1000人以上にこれまでに早慶合格までの指導をおこなっております。

詳しい大学合格実績については、合格実績にてご確認ください。

このプロフィールページでは、私(小野)がどのような経歴を辿ってきたのか、
人となりを理解してもらうために作成したページです。

少し長いので、お時間許すようであればお読みください。
下記目次を掲載したので、抜粋してお読み見いただいても一向に構いません。

下記項目からクリックしてお読みください。

幼少期

横浜に生まれました

横浜とは言っても下の写真のような海沿いの綺麗な場所を想像してはいけません。

横浜とは名ばかりの住宅地ばかりの場所。

そんな場所で幼少期を過ごしていました。

幼稚園までの記憶はほとんどないのですが、その中からエピソードをご紹介します。

年少の時に友達が年長の子にいじめられていたことに遭遇。

年長の子に臆せず果敢に立ち向かっていきました。

もちろん、立ち向かった結果は年長の子を倒してしまいました。。

当時の私は、身長が他の子と比べて10cmは大きく、体の大きさも1,5倍くらいはありました。

そのため、たとえ相手が年長であっても負けることがなかったようです。

体型がいいからといって、毎日ケンカをしていたとか言うわけではありません。身体は大きかったですが、どちらかと言うと運動神経は鈍かったです。
そのため、このエピソードの時は友人の子がいじめられているのが悔しくて立ち向かったのだと思います。

 

そんな感じで幼稚園を過ごして、あっという間に小学校に進学しました。

小学校はというと、そのまま近くの横浜の公立の小学校に進学しました。

小学校の時は中学受験をする気は一切なかった、
またそういう世界があることすらも当時は知らなかったと思います。

大学に入ってから知ったのですが、
当時私が遊んでいる一方で猛烈に勉強している人たちがいたんだな。。と思うと怖いですね

当時流行りだったポケモンをやったり、カードゲームをして遊んだり、公園で鬼ごっこをしたり、缶蹴りをしたりなどなど

そうした遊びもしている一方で小学校時代にはいろいろと習い事もしていました。

▶ピアノ
▶プール
▶剣道

残念ながらどれもなかなかうまくならず、直ぐにやめてしまいました。

ピアノは続けてはいたのですが、全然うまくならなかったです。

ただ今思えばうまくならなかった理由はわかっています。

通ってはいたのですが、繰り返しできるまで何度も何度も練習をしたりということがなかったからです。

今思うと、
もう少しピアノに対して興味を持って練習をしていたらよかったなーと思っています。

当時の私は他の事に対しての興味のほうがピアノより上回っていたのでしょうか?

結局、今でもピアノを習っていたという記憶は残っていますが、いまピアノを弾いてくださいと言われても全然弾くことはできないでしょう。

元々ピアノを始めた理由も兄がやっていたから母親が薦めたから始めたというだけで自分が始めたくて始めたものではなかったというのが続かなかった原因なのかなーと思います。
やはり何事も自分の意志で始めて、興味関心のあることである必要がありますね。

これは勉強においても同じなのかなと思います。

川崎への引っ越し 

さて、実は
この小学校の時期に父親のしごとの影響で私は横浜から川崎に越してきています。

川崎というと修羅の街というイメージが先行して治安の悪さを連想する方が多いかもしれません。

ですが、私が住んでいたのはのどかな田園都市線沿いの川崎です。この引越を機に性格が少し内向きになったと感じます。

この内向きというのは、否定的な文脈ではないですが、
これまでは何事にも積極的に行なっていたタイプですが、この引越を機に性格が変わったと思います。
何か大きな転機があると人は変わるんだなと思います。

川崎での生活になって、新しい友だちができる中で何か新しいことをはじめていたかというとそうでもなかったです。

外で友人と遊ぶことが大好きでした。

今思うと、学ぶことよりも実践的なことでどんどん身につけていこうというタイプなのはこの時期に培われたのかなと思います。

小学校では勉強というのはほとんどしていなかったです。

小学校時代の勉強というのは特に考えなくても覚えれば大丈夫!といったものや取り組んだかどうかの姿勢の部分が評価されるものが大半でした。

習い事を習わせてもほとんど続かない、

勉強もほとんどしない

こんな状態に親は流石に焦ったのか。

小学校の高学年からは塾に行くことになりました。

勘違いをしてはいけません。

決して中学受験用の塾ではありません。

そうではなく、

これまで勉強という勉強をしてこなかったので学力を維持させるための塾でした。

ただ勉強ってどういうわけか子供の頃からいやいや親にやらされてするものという意識が強いです。

私自身もその例にもれず、”塾に行く”ということはしていましたが、塾に行ったからできたということは特になかったと思います。

それは塾が悪いのではありません。

子供側の意識の問題です。

ただ言われたことをやっているだけの受動的な勉強をしている限りは、圧倒的に成績を上げることは難しい。

この意識を改革していこう!としていく部分に今の塾の根源があると思います。

さて、小学校時代も勉強とはあまり縁がなく過ぎて行きました。

中学時代

続いて中学校時代の話です。

中学校といえば、小学校と違う点にあげられるのが部活です。

部活で何を選ぶのかが中学校生活を決めるとも言えるでしょう。

私が選んだのは、テニス部です。

もちろん、それより前からテニスが好きだったわけではありません笑

ジャンプで連載された「テニスの王子様」というマンガが流行ったためでした。

特にこれまでスポーツをやってきていたわけではなく、入る部活もなく、入る人が多そうだったのでテニスを選んだというだけです。

もちろん、これもはじめから主体的に興味があって入ったわけではなかったので、これまでの活動と同じようにすぐに飽きて友達と一緒にやめてしまいました。

 

辞めた友達と始めたのはゲームでした。

野球、サッカー、戦争ゲームなどにはまっていきました。

運動部を辞めて、運動系のゲームにハマるというのは皮肉ですが、私は選手でプレーすることにはまったわけではありませんでした。

そうではなく、クラブチームをどういう風に運営したらいいのか?、どんな戦術をすることで強くなるのか?というどのようにしたらシステムをつくれるのか?、またどのようにしたら強いチーム作りになるのかという点に興味を持ちました。

それまでにサッカーや野球に興味があるわけではなかったのですが、ゲームにはスゴいハマりました。

毎日新聞を読んで現在のチーム状況を見たり、実際のチームがどのようにチーム作り、戦術を行なっているのか?という部分を様々な新聞、雑誌を読んで確認を行なっていました。

この時に何かにハマるという感覚を覚えました。

この感覚があったからこそ、その後の勉強の時にも自分から進んで勉強を始めていけたし、進めることができました。

「自分から何かを望んで始めること」

この気持ちは何かを極めよう!と考える人には絶対に必要な考え方です。

誰かに言われたから〜、みんながやっているから〜といった受動的な理由で勉強を始めてもなかなか思うような成果がでないですし、途中でやめてしまうことも少なくありません。

特に勉強をこれまでやってこなかったこの場合は、このパターンに当てはまります。
勉強ができない子にとって一番避けなければいけないのは、勉強がムリだ!と思ってやめてしまうことです。
自分にもできる!という思いを持って、取り組むことが肝要です。

中学生時代はこんな感じでゲームをやったり、マンガを読んだり、友達と遊んだりという感じで過ぎ去って行きました。

中学時代〜高校受験

中学生活も終盤にさしかかり高校受験となります。

努力もせず適当に毎日友達と遊んでゲームをしまくってる間にあっという間に高校受験がやってきました。

なぜかプライドだけは高かったので、

『川崎市でトップの高校に通おうー』と安易に考えていました

もちろん成績は全く足りません笑

トップ校を同じように目指していたほとんどの友達の成績は

135点(満点)

130,120,125などなど、120を越えているのが普通でした。

一方わたしの成績はというと、

92点笑

周りと30点から40点も差がはなれていました笑

実際の受験ではこの内申点に加えてテストの点数が加わるので、わたしは勝手に何とかなると思っていました笑

ですがもちろん、3者面談で学校の先生からストップがかかります笑

『君の成績ではムリだよ、

受けるのは自由だけど責任は自分で取りなさい』

こんな言葉を学校の先生から言われたのを覚えています。

別に学校の先生を否定するつもりはまったくありません。

普通に考えたら、どう考えたって入れないので学校の先生は”正しかった”と思います。

ですが、わたしは昔から人の言うことを素直に聞く性格ではなかったのでトップ校を受けることを心の中で決めていました。

 

ここで、受験まで勉強しまくって内申点を逆転してテストだけの点数で合格したってなるとめちゃめちゃかっこいいです。

しかし、わたしは元々勉強をそんなにするタイプではなくトップ校を受けるのが決まったあともひたすらゲームをしたり、

友達と遊んでいました。笑

もちろん全く勉強をしていないわけではないです。

ですが内申点を逆転するためのテスト勉強に時間をつかっていたか?と言われると

全然していなかったと思います。英語も数学も国語も嫌いかつできませんでしたし笑

そんなこんなで高校受験を迎えました。

神奈川県の入試は47都道府県中でもトップレベルに簡単な入試問題なので、無難に点数を取ることができました。

ですがここで、最悪の事態が発生してしまいました。

受験証をテストを受けてる際に高校に落としてきたのでした笑

受験証を落とすなんてもう結果を暗示しているかのようでした。。。

高校に受験証を取りにいく時の気まずさはとてつもないものです

なんせおそらくその高校史上で一番低い内申点で受験してきたヤツが面倒なことに受験証まで落としていたのです。

これは文字通り落ちたかなーと思いました。

ですが、私はポジティブな性格なので点数は取れたのだから絶対に大丈夫だ!という思いが強かったです。

高校の合格発表

そして、受験から月日はたちトップ校の合格発表の日です。

学校の決まりで同じ高校を目指している人と行かなければいけないのですが、皆が合格を心配している中、

「まあなんとかなるか!」とかなりゆるい感じで志望校に向かって行きました。

そんなユルい気持ちのまんま高校にいき、試験結果が入った封筒をもらいました。

周りの友達は緊張した面持ちで結果を見る中、私はドキドキでした。

そこには1枚の紙が入っていました。

貰った封筒の中には、

“合格”の二文字が・・

内申点はかなり低かったのですが、なんとテストの点数で逆転して無事に合格することができました。

どうして受かったのかという点に関しては今でもよくわからないですが。

奇跡的に地域のトップ校に入ることができました。

 

そして、ここから高校の生活が始まりました。

トップ校に入ったからには勉強を始めたかと思いきや、もちろんしませんでした。

しかも、相変わらず素行は悪かったです。

髪も金髪近くまで染めて、ピアスも空け、完全に方向を間違えたタダのダメ高校生でした。

また授業中に弁当を食べたり、授業に出ずにどこかに友達と遊びに行ったりという感じでした。

人生を変えた音楽との出会い

勉強は全然しなかったのですが、

高校で1つ自分の人生を変える出来事に出会いました。

それは・・ ギターです。

高校時代はギターを夢中になってひいてました。

作曲などができたらよかったのですが。当時の私はいかに速く引くことができるかという点にはまっていました。

これは大学に入っても変わらなかったです。。

ギターを速く弾けるようになること、に学びのすべてが入っていると私は思います。
どういうことかというと、ギターのフレーズははじめから速く弾けるものではありません。

どれだけ早いフレーズであっても最初は自分の弾けるレベルまでテンポを落として、何度も何度も繰り返し練習を行い、できるようになったらテンポをちょっと上げていきます。

その繰り返しで元のフレーズの速度までできるようになるまで繰り返していきます。

繰り返し行う際に大事なのは、繰り返すうちに自分なりのアレンジが入らないように注意することです。
人が100%完璧に行動することというのは、自分の存在を消すということになります。

多くの人にとって、この「自我を消す」という段階においてつまずいてしまうのです。

これができるかどうかが同じものを見ていたとしても学ぶことができるかどうかに関わってくるのです。

自分なりのアレンジ無しでゆっくりから高速で弾けるまで何度も何度も繰り返す。

この繰り返しの連続で無意識でもそのフレーズを弾けるようになってきます。

ギターを練習するということで学ぶということがどういうことなのかというのを理解できたように思えます。

大学受験

そして、月日は経ち、勉強に対峙しなければいけない高校3年生が近づいてきました。

もちろん勉強は全くしていなかったので全然できませんでした。。

授業もあまり出ていませんでしたし、学校に行っても授業はほとんど寝ていましたし、起きていても音楽室でギターを弾くのに逃げ込んでいるような人でした。

そのせいか、成績も下から数えるほうが圧倒的に早いような状態です。。

この成績ではもちろん推薦という手段はなかったので、一般受験するしかありません。

勉強始めた当時は進学校に通っているし大学受験は、内申点も関係ないので正直どうにかなると思い込んでいました。

高3になった時に、周りの友達に親に薦められて近くの大手予備校に通うことにしました。
予備校には通ったのですが、授業の内容は理解できていたとは言いがたく、とりあえず行くことに満足をしているような状況でした。

よくわからないけど、このままでなんとかなるのかな?という印象でした。

ですが世の中そんなに甘くはありません。

 

高校3年の5月、初の模試に望みました。

マーク式の模試でしたが、英語は200点中30点くらい。

予備校に通ったからできるようになるというのは、物事を単純化して見過ぎでした。
これまで学校の授業を受けてきてできるようにならなかったのに、受験生だ!となって予備校に通ったからと言ってできるようになるわけではありません。

大事なのは、自分自身が噛み砕けるレベルまで立ち返って、勉強していくことだと感じました。

ですが、これを本当に理解できたのは、浪人が決まった後。

結局、受験生のときは勉強している身だったので、

自分を客観視して何が正解かあっているのかどうか?というのはということを判断するのは難しかったのだと思います。

現役の時の成績は結局、あまり上がりませんでした。

センター試験の点数も暗記科目で稼いだため全体で7~8割程度が。やっという状態でした。

遊びまくった春休みを経て、浪人時代には、現役時代の失敗を繰り返さないために勉強を開始しました。勉強法としてはギターがうまくなるまでの過程を再現しました。
ギターと勉強。

分野が違っても、何かを上達させるという点においては共通している部分があるはず!との思いから、以下の点に気をつけて勉強を始めました。

▶できないことであってもできる部分まで噛み砕いて立ち返ること
⇒ギターの時はどれだけ早いフレーズであっても、ゆっくりしたスピードで行なうことで上達した。

▶ゆっくりから高速化の過程を何度も何度も自分が納得できるまで、繰り返す
⇒ギターの時は寝起きや眠い時など集中していない状態の時でもできるようにしていた。

▶ただ覚えるだけでなく、気になることは自信の言葉で言語化する癖をつけること
⇒ギターの時は、指のこまかな動きや音の違いなどの変化を感じた時に言語化をしていた

上記プロセスを繰り返し、浪人時の8月の模試では偏差値80を超えるようになっていました。

そして、その模試の勢いのまま慶應大学まで進むことができました。

大学生活

慶應大学に入学後、いつまでも過去の栄光に浸っている場合ではないと思い、、、

自身の経験で世の中が良い方向に変わっていかないのか?

自分が浪人時に学んだ頭の使い方が何か使えないものか?

と考えました。

そこで、

「好きだった英語」と、「難しいことを分解する」という考え方を

組み合わせて、英会話教室を立ち上げました。

その英会話教室では、私は運営側に回って、教材を作成したり、マーケティングをしていました。

ですが、、、

もちろん大学生の時になにも経験も知識もないままで、

見よう見まねでやっていたため、成功するわけもなく失敗してしまいました。

恩師たちとの出会い

その後、人生を変えるような恩師たちとの出会いを果たします。

一人目は、高橋浩一さんです。友人から紹介をしていただきました。

高橋浩一さんは、

新卒で外資でコンセルをしていて、

現在は、大企業を中心として営業のビジネスコンサルタントとして活躍し、

TORiXという会社を起業されています。

また、『無配営業』という本を先日出版し、

かなり売れているようでベストセラー作家でもあります。

社会人研修のため分野は違えど、

教育という分野は同じのため学びになることが多かったです。

高橋浩一さんの元でインターンをはじめ、
ビジネスの基礎を教えていただきなにをどのようにしたら、
成果の出る指導ができるのか、
頭の使い方(分解をしていく)、
ロジカルシンキングを学ばせていただくことができました。

お世話になった御縁で、先日ラジオにも出させていただきました。
緊張して全然話せず、ご迷惑をおかけしました。。

二人目は、青山社中という会社を創業された朝比奈一郎さんです。

朝比奈一郎さんも凄まじい経歴でいまだに社会に大きなインパクトを与えている人です。

こちらでもお世話になって、

正解のない問題に対してどのように考えていくためには良いのか?

ある歴史上の偉人の判断の瞬間を自分にあてはまめて、

自分だったらどのように考えていくのか?などなど、

これまで大学受験の世界では唯一の答えを出すということを考えていたのですが、

実際の社会では、青山社中で学んだように正解のないことを出すのが大事になってきます。

このような方々に薫陶を受けることで徐々に自分の経験と組み合わせて、

社会に貢献できることはないかと考えて、塾の創業を考えました。

ヒロアカの創業

早速これまでの経験を活かして、塾を始めました。

最初はオンラインのみで開始をして、

初年度で慶應、早稲田大学を筆頭にMarchの合格も出して自身の指導の正しさを実感して、

毎年毎年改善をしながら、できる限り生徒に寄り添う形で指導をしています。

英語について

まず最初に告白しておかなくてはいけないのは、私は帰国子女でもありませんし、英米学部卒業でもありません。

元々は全然えいごもできないただの人でしたが、、、

独学で自分で様々な学習法を考えて、独自で勉強をしていくことで、

現在では、英検1級、TOEIC990点を取得することができました。

もちろん、簡単な道のりではなかったのですが、

成績を上げるためには、色々とコツはあります。

考える力をつけつつ、英語の学力を上げてもらうために、

少しでも生徒に還元できるように、お伝えできればと思います。

参考書について

私は、言わずと知れた、参考書、勉強法オタクです。

これまでに英語以外にも様々な言語(10ヶ国語以上)を学習してきています。

もちろん、冒頭でもお伝えしている通り、これまで多くの生徒に指導をしてきました。

個別という形態もありますので、
生徒に合った勉強法で効果的に学習できる方法をお伝えできればと思います。

早慶に合格したい方はご相談ください

慶應・早稲田大学への受験を控えている保護者様へ

慶應・早稲田大学の受験には学校別の対策が必須になります。慶應・早稲田合格に特化したHIRO ACADEMIAが完全サポート致します。