塾長プロフィール

幼少期
横浜に生まれる

横浜とは言っても海沿いの綺麗な場所を想像してはいけません。

横浜とは名ばかりの住宅地ばかりの場所。

そんな場所で幼少期を過ごしていました。

幼稚園までの記憶はほとんどないのですが、

その中からエピソードをご紹介します。

 

年少の時に友達が年長の子にいじめられていたことに遭遇。

年長の子に臆せず果敢に立ち向かっていきました。

もちろん、立ち向かった結果は年長の子を倒してしまいました。。

当時の私は身体が身長が他の子と比べて10cmは大きく、体の大きさも1,5倍くらいはありました。

そのため、たとえ相手が年長であっても負けることがなかったようです。

体型がいいからといって、毎日ケンカをしていたとか言うわけではありません。

身体は大きかったですが、どちらかと言うと運動神経は鈍かったです。

そのため、このエピソードの時は友人の子がいじめられているのが悔しくて立ち向かったのだと思います。

 

そんな感じで幼稚園を過ごして、あっという間に小学校に進学しました。

小学校はというと、

そのまま近くの横浜の公立の小学校に進学しました。

小学校の時は中学受験をする気は一切なかった、またそういう世界があることすらも当時は知らなかったと思います。

大学に入ってから知ったのですが、当時私が遊んでいる一方で猛烈に勉強している人たちがいたんだな。。と思うと怖いですね、

当時流行りだったポケモンをやったり、カードゲームをして遊んだり、公園で鬼ごっこをしたり、缶蹴りをしたりなどなど

そうした遊びもしている一方で小学校時代にはいろいろと習い事もしていました。

▶ピアノ
▶プール
▶剣道

残念ながらどれもなかなかうまくならず、直ぐにやめてしまっていますね。

ピアノは続けてはいたのですが、全然うまくならなかったです。

ただ今思えばうまくならなかった理由はわかっています。

通ってはいたのですが、繰り返しできるまで何度も何度も練習をしたりということがなかったからです。

今思うと、もう少しピアノに対して興味を持って練習をしていたらよかったなーと思っています。

当時の私は他の事に対しての興味のほうがピアノより上回っていたのでしょうか?

結局、今でもピアノを習っていたという記憶は残っていますが、いまピアノを弾いてくださいと言われても全然弾くことはできないでしょう。

元々ピアノを始めた理由も兄がやっていたから母親が進めたから始めたというだけで自分が始めたくて始めたものではなかったというのが続かなかった原因なのかなーと思います。
やはり何事も自分の意志で始めて、興味関心のあることである必要がありませすね。
これは勉強においても同じなのかなと思います。

 

さて、実はこの小学校の時期に父親のしごとの影響で私は横浜から川崎に越してきています。

川崎というと修羅の街というイメージが先行して治安の悪さを連想する方が多いかもしれません。

ですが、私が住んでいたのはのどかな田園都市線沿いの川崎です。

この引越を機に性格が少し内向きになったと感じます。

この内向きというのは、否定的な文脈ではないですが、
これまでは何事にも積極的に行なっていたタイプですが、
この引越を機に性格が変わったと思います。
何か大きな転機があると人は変わるんだなと思います。

川崎での生活になって、新しい友だちができる中で何か新しいことをはじめていたかというとそうでもなかったです。

外で友人と遊びことが大好きでした。

今思うと、学ぶことよりも実践的なことでどんどん身につけていこうというタイプなのはこの時期に培われたのかなと思います。

 

小学校では勉強というのはほとんどしていなかったです。

小学校時代の勉強というのは特に考えなくても覚えれば大丈夫!といったものや取り組んだかどうかの姿勢の部分が評価されるものが大半でした。

習い事を習わせてもほとんど続かない、

勉強もほとんどしない

こんな状態に親は流石に焦ったのか。

小学校の高学年からは塾に行くことになりました。

勘違いをしてはいけません。

決して中学受験用の塾ではありません。

そうではなく、

これまで勉強という勉強をしてこなかったので学力を維持させるための塾でした。

ただ勉強ってどういうわけか子供の頃からいやいや親にやらされてするものという意識が強いです。

私自身もその例にもれず、”塾に行く”ということはしていましたが、塾に行ったからできたということは特になかったと思います。

それは塾が悪いのではありません。

子供側の意識の問題です。

ただ言われたことをやっているだけの受動的な勉強をしている限りは、圧倒的な成績を上げることは難しい。

この意識を改革していこう!としていく部分に今の塾の根源があると思います。

さて、小学校時代も勉強とはあまり縁がなく過ぎて行きましたねー笑

 

 

続いて中学校時代の話です。

中学校といえば、小学校と違う点にあげられるのが部活です。

部活で何を選ぶのかが中学校生活を決めるとも言えるでしょう。

私が選んだのは、テニス部です。

もちろん、それより前からテニスが好きだったわけではありません笑

ジャンプで連載された「テニスの王子様」というマンガが流行ったためでした。

特にこれまでスポーツをやってきていたわけではなく、入る部活もなく、入る人が多そうだったのでテニスを選んだというだけです。

もちろん、これもはじめから主体的に興味があって入ったわけではなかったので、これまでの活動と同じようにすぐに飽きて友達と一緒にやめてしまいました。

 

辞めた友達と始めたのはゲームでした。

野球、サッカー、戦争ゲームなどにはまっていきました。

運動部を辞めて、運動系のゲームにハマるというのは皮肉ですが、

私は選手をプレーをすることにハマったのではありませんでした。

そうではなく、クラブチームをどういう風に運営したらいいのか?、どんな戦術をすることで強くなるのか?というどのようにしたらシステムをつくれるのか?、またどのようにしたら強いチーム作りになるのかという点に興味を持ちました。

それまでにサッカーや野球に興味があるわけではなかったのですが、ゲームにはスゴいハマりました。

毎日新聞を読んで現在のチーム状況を見たり、実際のチームがどのようにチーム作り、戦術を行なっているのか?という部分を様々な新聞、雑誌を読んで確認したのを行なっていました。

この時に何かにハマるという感覚を覚えました。

この感覚があったからこそ、その後の勉強の時にも自分から進んで勉強を始めていけたし、進めることができました。

「自分から何かを望んで始めること」

この気持ちは何かを極めよう!と考える人には絶対に必要な考え方です。

誰かに言われたから〜、みんながやっているから〜といった受動的な理由で勉強を始めてもなかなか思うような成果がでないですし、途中でやめてしまうことも少なくありません。

特に勉強をこれまでやってこなかったこの場合は、このパターンに当てはまります。
勉強ができない子にとって一番避けなければいけないのは、勉強がムリだ!と思ってやめてしまうことです。
自分にもできる!という思いを持って、取り組むことが肝要です。

中学生時代はこんな感じでゲームをやったり、マンガ読んだり、友達と遊んだりという感じで過ぎ去って行きました。

 

 

そして、中学生活も終盤にさしかかり高校受験となります。

努力もせず適当に毎日友達と遊んでゲームをしまくってる間にあっという間に高校受験がやってきました。

なぜかプライドだけは高かったので、

『川崎市でトップの高校に通おうー』と安易に考えていました

もちろん成績は全く足りません笑

トップ校を同じように目指していたほとんどの友達の成績は

135点(満点)

130,120,125などなど、120を越えているのが普通でした。

一方わたしの成績はというと、

92点笑

周りと30点から40点も差がはなれていました笑

実際の受験ではこの内申点に加えてテストの点数が加わるので、わたしは勝手に何とかなると思っていました笑

ですがもちろん、3者面談で学校の先生からストップがかかります笑

『君の成績ではムリだよ、

受けるのは自由だけど責任は自分で取りなさい』

こんな言葉を学校の先生から言われたのを覚えています。

別に学校の先生を否定するつもりはまったくありません。

普通に考えたら、どう考えたって入れないので学校の先生は”正しかった”と思います。

ですが、わたしは昔から人の言うことを素直に聞く性格ではなかったのでトップ校を受けることを心の中で決めていました。

 

ここで、受験まで勉強しまくって内申点を逆転してテストだけの点数で合格したってなるとめちゃめちゃかっこいいです。

しかし、わたしは元々勉強をそんなにするタイプではなくトップ校を受けるのが決まったあともひたすらゲームをしたり、

友達と遊んでいました。笑

もちろん全く勉強をしていないわけではないです。

ですが内申点を逆転するためのテスト勉強に時間をつかっていたか?と言われると

全然していなかったと思います。英語も数学も国語も嫌いかつできませんでしたし笑

そんなこんなで高校受験を迎えました。

 

神奈川県の入試は47都道府県中でもトップレベルに簡単な入試問題なので、無難に点数を取ることができました。

ですがここで、最悪の事態が発生してしまいました。

受験証をテストを受けてる際に高校に落としてきたのでした笑

受験証を落とすなんてもう結果を暗示しているかのようでした。。。

高校に受験証を取りにいく時の気まずさはとてつもないものです

なんせおそらくその高校史上で一番低い内申点で受験してきたヤツが面倒なことに受験証まで落としていたのです。

これは文字通り落ちたかなーと思いました。

ですが、私はポジティブな性格なので点数は取れたのだから絶対に大丈夫だ!という思いが強かったです。

 

そして、受験から月日はたちトップ校の合格発表の日です。

学校の決まりで同じ高校を目指している人と行かなければいけないのですが、皆が合格を心配している中、

「まあなんとかなるか!」とかなりゆるい感じで志望校に向かって行きました。

そんなユルい気持ちのまんま高校にいき、試験結果が入った封筒をもらいました。

周りの友達は緊張した面持ちで結果を見る中、私はドキドキでした。

そこには1枚の紙が入っていました。

貰った封筒の中には、

“合格”の二文字が・・

内申点はかなり低かったですが、なんとテストの点数で逆転して無事に合格することができました。

どうして受かったのかという点に関しては今でもよくわからないですが。

とりあえずトップ校に入りました。

 

 

そして、

ここから高校の生活が始まりました。

トップ校に入ったからには勉強を始めたかと思いきや、もちろんしません笑

しかも、相変わらず素行は悪かったです。

髪も金髪近くまで染めて、ピアスも空け、完全に方向を間違えたタダのダメ高校生でした。

また授業中に弁当を食べたり、授業に出ずにどこかに友達と遊びに行ったりという感じでした、

勉強は全然しなかったのですが、

高校で1つ自分の人生を変える出来事に出会いました。

それは・・ ギターです。

高校時代はギターを夢中になってひいてました。

作曲などができたらよかったのですが。当時の私はいかに速く引くことができるかという点にはまっていました。

これは大学に入っても変わらなかったです。。

ギターを速く弾けるようになることとうことに学びのすべてが入っていると私は思います。
どういうことかというと、ギターのフレーズははじめから速く弾けるものではありません。

どれだけ早いフレーズであっても最初は自分の弾けるレベルまでテンポを落として、何度も何度も繰り返し練習を行い、できるようになったらテンポをちょっと上げていきます。

その繰り返しで元のフレーズの速度までできるようになるまで繰り返していきます。

繰り返し行う際に大事なのは、繰り返すうちに自分なりのアレンジが入らないように注意することです。
人の100%完璧に行動することというのは、自分の存在を消すということになります。多くの人にとって、この「自我を消す」ということ段階においてつまずいてしまうのです。

これができるかどうかが同じものを見ていたとしても学ぶことができるかどうかに関わってくるのです。

自分なりのアレンジ無しでゆっくりから高速で弾けるまで何度も何度も繰り返す。

この繰り返しの連続で無意識でもそのフレーズを弾けるようになってきます。

ギターを練習するということで学ぶということがどういうことなのかというのを理解できたように思えます。

 

そして、月日は経ち、勉強に対峙しなければいけない高校3年生が近づいてきました。

もちろん勉強は全くしていなかったので全然できませんでした。。

授業もあまり出ていませんでしたし、学校に行っても授業はほとんど寝ていましたし、起きていても音楽室でギターを弾くのに逃げ込んでいるような人でした。

そのせいか、成績も下から数えるほうが圧倒的に早いような状態です。。

この成績ではもちろん推薦という手段はなかったので、一般受験するしかありません。

勉強始めた当時は進学校に通っているし大学受験は、内申点も関係ないので正直どうにかなると思い込んでいました。

高3になった時に、周りの友達に親に薦められて近くの大手予備校に通うことにしました。
予備校には通ったのですが、授業の内容は理解できていたとは言いがたく、とりあえず行くことに満足をしているような状況でした。

よくわからないけど、このままでなんとかなるのかな?という印象でした。

ですが世の中そんなに甘くはありません。

 

高校3年の5月、初の模試に望みました。

マーク式の模試でしたが、英語は200点中30点くらい。

予備校に通ったからできるようになるというのは、物事を単純化して見過ぎでした。
これまで学校の授業を受けてきてできるようにならなかったのに、受験生だ!となって予備校に通ったからと言ってできるようになるわけではありません。

大事なのは、自分自身が噛み砕けるレベルまで立ち返って、勉強していくことだと感じました。

ですが、これを本当に理解できたのは、浪人が決まった後。

結局受験生自身では勉強している身だったので、自分を客観視して何が正解かあっているのかどうか?というのはというのを判断するのは難しいのです。

現役の時の成績は結局、あまり上がりませんでした。

センター試験の点数も暗記科目で稼いだため全体で7~8割程度が。やっという状態でした。

遊びまくった春休みを経て、浪人時代には、現役時代の失敗を繰り返さないために勉強を開始しました。勉強法としてはギターがうまくなるまでの過程を再現しました。
ギターと勉強。

分野が違っても、何かを上達させるという点においては共通している部分があるはず!との思いから、以下の点に気をつけて勉強を始めました。

▶できないことであってもできる部分まで噛み砕いて立ち返ること
⇒ギターの時はどれだけ早いフレーズであっても、ゆっくりしたスピードで行なうことで上達した。

▶ゆっくりから高速化の過程を何度も何度も自分が納得できるまで、繰り返す
⇒ギターの時は寝起きや眠い時など集中していない状態の時でもできるようにしていた。

▶ただ覚えるだけでなく、気になることは自信の言葉で言語化する癖をつけること
⇒ギターの時は、指のこまかな動きや音の違いなどの変化を感じた時に言語化をしていた

上記プロセスを繰り返し、浪人時の8月の模試では偏差値80を超えるようになっていました。

 

そして、その模試の勢いのまま合格まで進むことができました。

その後、大学生活、社会人と過ごし、日本の教育において成果を出すための勉強というのが一般化できてない!という点に問題を感じ、現在の教育サービスを展開することにいたしました。

勉強ができない=才能がないからできないという形で一般化されがちですが、正しい勉強ではじめることで誰もが必ず成績を上げることができ、その結果自身の夢を叶えていく。

このプロセスを行なうことで日本の教育が改善されて、一人でも多くの人が夢を叶え、日本の経済が活性化していくことを望んでおります。